熊本大永青文庫研究センター(熊本市中央区)は26日、剣豪・宮本武蔵の実像に迫る新史料4点を確認したと発表した。晩年の細川家3代忠利が問答のために集めた文化人集団の一員として招かれたことや、4代光尚とも良好な関係を築いて兵法書「五輪書[ごりんのしょ]」を書いたことなどがうかがえ、孤高の剣士だったとされる武蔵の人物像を覆す非常に貴重な発見という。
熊本大が公益財団法人永青文庫から寄託されている「細川家文書」と、筆頭家老の松井家に伝わる「松井家文書」から見つかった。
同センターによると、新史料の一つは、惣奉行衆が忠利の側近に宛てた寛永17(1640)年10月29日付の書状控[ひかえ]。当時、忠利が山鹿御茶屋に武蔵と足利道鑑を招いたことは分かっていたが、書状控[ひかえ]などからは、この場に武蔵らのほか、著名な儒学者だった朝山意林庵と室町期の守護大名の子孫・津川四郎右衛門がいたことも判明。忠利が統治者としての人生を総括する問答の相手として招いたことも分かった。
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参照:熊本日日新聞(https://kumanichi.com/articles/803242)