太平洋戦争中、熊本県菊池市泗水町には広大な陸軍菊池飛行場があり、特攻隊の中継基地にもなった。戦争遺跡の保存を目的に、市民団体「花房(菊池)飛行場の戦争遺産を未来につたえる会」が発足したのは2008年4月。15年目を迎えた今、この間の活動を通して飛行場があった街の戦争を見つめる。
菊池市泗水町の富の原西区。つたえる会事務局長の小山内稔さん(65)は自宅庭にあるコンクリート製の四角い遺構を指さした。菊池飛行場に隣接して置かれた陸軍航空通信学校菊池教育隊の風呂場跡だという。
一帯では戦時中、多くの少年飛行兵が空襲で亡くなった。「池から水を引いて、供養のためにハスを植えていた時期もあったが、5、6年前に水が抜けてしまって」。小山内さんの視線の先にある戦争遺跡は雑草に覆われながらも、当時の姿を今にとどめる。
菊池飛行場は1940年開設。県内の陸海軍飛行場の中で最大規模を誇り、戦争遺跡も数多い。通信教育隊跡には風呂場跡をはじめ、防火用水、給湯施設跡などが点在。飛行場跡にもガソリン貯蔵庫や大型格納庫の基礎などが残り、住宅街にひっそりとたたずむ。
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(https://kumanichi.com/articles/759215)